ギャラリー

Nori

この作品は「翠光(すいこう)」と名付けました(F6、Waterford紙)

 京都の、とあるお寺にある庭を描いた作品です。

観光地のお寺にしては、ひとけが少なく、静けさに包まれた森の奥、ひっそりと佇む池が陽光を湛えているのが印象的でしたので、「描きたいな♪」と――^^

僕はいつも「光が感じられる」ことを意識して制作しています。

この景色を見たとき、柔らかな木漏れ日と水面の反射を捉えたいと思いました。

この作品でも「光が緑に染まる瞬間」、自然の中に潜む「気配」や「呼吸するような光」を表現できたのかな、と思っています。

透明水彩ならではの、にじみや重なりで、幻想的な空気感と奥行き感を感じさせることができていると思います。

特に水面に映る空と木々、浮かぶ睡蓮の葉を描くときは気をつけました。

あたかも風も時間も一瞬だけ立ち止まったような、ひとときを感じていただければ幸いです。

Nori

この作品は「舞姫たちの午後」と名付けました(F6、ARCHES紙)

 午後の光がやさしく差しこむ静かな水槽の中
浮草の間を、2匹の金魚が気ままに泳いでいます。
水中にはそっと広がる水草の影と金魚の影。

そこに生きる小さな命の気配が、どこか心を和ませてくれます。

水槽に水草だけを浮かべたものをモデルにしたものを描き始め他のですが、何か締まらなくて。そこで、金魚を泳がせることにしました。金魚は想像で絵の中に取り込んだものです。

この作品では、水の中のやわらかな空気感や、音のない世界の静けさを大切にしました。
ふと立ち止まって、水面をのぞき込むような気持ちで、眺めていただけたら嬉しいです。

Nori

この作品は「木漏れ日と水鏡」と名付けました(F6、Waterford紙)

 この作品は、晩秋のある日ふと訪れた京都は大原三千院の庭を描いたものです。

とても穏やかな秋の日でした。

既に陽が傾きかけ、斜めから差込む夕陽が、長い木陰をつくっているのがとても印象的でした。

水面には、空と寺院と赤や黄に染まった木々がやわらかく映り込んでました。

石塔や寺院の屋根は、自然と調和しながら静かに佇み、時が止まっているようでした。

水彩のにじみを活かして、空気のゆらぎや木漏れ日のやさしさを描き出そうと試みました。

観てくださる方にも、少しでもその静けさが伝われば幸いです。

Nori

この作品は「惜別」という名前をつけました(F6、Waterford紙)

この作品は「別れ」をテーマに、水彩のにじみや淡い色調を通して、言葉にできない感情の層を描き出そうと試みたものです。冬の夜空に満月が冷たく光り、遠くには対岸の街の光が海面に冷ややかに、微かに揺れています。夜の静けさに浮かぶ一艘の船。艫綱もなく、ひとり残された船は、静かに別れの余韻をたたえているようです。見る人それぞれの記憶や感情に寄り添い、「惜しみながら手放す」という行為の静かな尊さを感じていただけたら幸いです。

Nori

この作品は「春待ち鳥」と名付けました(F6、Waterford紙)

まだ冷たい風が残る早春の湖畔に、一羽の鳥が静かに佇んでいます。凍てついた季節と、やがて訪れる春との僅かな隙間に宿る光と静寂を、淡い色彩とにじみの表現で描きました。金色に包まれた木々と、深く静かな水面。
すべてが目覚めのときを待つなかで、この小さな命は何を感じているのでしょうか。春を待つ心の風景として、ご覧いただく方の中にも静かな希望が芽生えれば幸いです。

Nori

この作品は「何をか在します所(なにをかおわしますところ)」と名付けました(F6、Waterford紙)

朝の静けさに包まれた、とある神社の参道です。木々の隙間から差し込む淡い早朝の朝日が、苔むした石畳と鳥居をやわらかく照らします。ここには、目には見えない「何か」が宿っている。
見えぬものを敬い、感じる心に光をあてる、そんな気配をそっと描きとめました。静かな森の奥、人の足音も届かぬ早朝のひとときに、自然と人のあわいに「在るもの」へのまなざしを込めています。

Nori

この作品は「夏の残り香(のこりか)」と名付けました(F6、Waterford紙)

夏の光に少し翳りが見える晩夏の頃、夏草の代表格の猫じゃらしが午後の光に照らされています。地面に伸びた影が斜めに伸び始め、秋の訪れがもうすぐそこまで来ていることを暗示しているようです。季節の移ろいに寄せる寂しさを、透明感のある色彩で描き表しました。